終末について
死は、それ以上具体的なテーマは存在しないはずなのに、なぜか、死について考え出すと、抽象的なテーマに変貌(へんぼう)してしまいます。
「考える」という行為が、「死」という対象を、抽象化せずに考える、ということができない行為だからです。
「死」の具体性は、「この私が、今、この瞬間に、死ぬ」ことなのです。
それは、「私が、考える」という行為の否定になるからです。
「死」の具体性を、できるだけ保持したままで、「死」に近づくために、「死」の直前の記録を検証してみたいと思います。
資料1 余命3分
2001年9月11日午前8時、アメリカ、ボストンのローガン空港を、アメリカン航空11便が離陸した。
管制官は、このロサンゼルス直行のボーイング767に、高度3万5千フィートまで上昇するよう指示を出したが、アメリカン航空11便は、2万6千フィートまで上昇しただけで、突如、無線の交信に応答しなくなった。
8時24分、テロリストのモハメド・アタと思われる声が、管制官に聞こえてきた。
それは機中の乗客に向かって話しかけているようだった。
「われわれは、航空機を、数機、制圧した。
そのまま静かにしていれば、心配はいらない。
この飛行機は、これから空港に引き返すが、みんなじっとしていること。
そうすれば大丈夫だ。
だが少しでも動いたら、自分と、この飛行機を危険にさらすことになる。
だからおとなしくしているんだ。」
8時25分、ボストンの管制官は、数カ所の航空管制センターに、アメリカン航空11便が、ハイジャックされたと通報し、警戒体制を敷いた。
4分後、11便は、急旋回すると、南のマンハッタンに向かった。
8時34分、ハイジャック犯の一人の声が、管制官に聞こえてきた。
「みなさん。
動かないで。
これから空港に引き返します。
バカなまねをしないように。」
同日の午前8時42分、300キロメートル以上離れた、ニュージャージー州のニューアーク空港から、ユナイテッド航空93便が、サンフランシスコに向かって離陸した。
そのときには、アメリカン航空11便がハイジャックされたという情報は、ユナイテッド航空93便に届いていなかった。
ユナイテッド航空93便には、ファーストクラス10名、エコノミークラス27名、パイロット2名、客室乗務員5名、計44名が搭乗していた。
ユナイテッド航空93便の離陸の5分後、午前8時47分、アメリカン航空11便が、時速およそ800キロメートルで、ニューヨークの世界貿易センタービルの北タワーの、上から4分の1あたりに激突した。
同日の午前9時3分、ユナイテッド航空175便が、世界貿易センタービルの南タワーに、激突した。
同日午前9時38分、アメリカン航空77便が、ワシントンの国防総省の建物に、激突した。
その少し前、午前9時27分、ユナイテッド航空93便の乗客、トマス・バーネット(トム)から、自宅にいる妻のディーナに電話が入った。
ディーナ「あなた大丈夫なの?」
トム(低い声で、手早く)「大丈夫じゃない。
ニューアーク発サンフランシスコ行きユナイテッド航空93便に乗っている。
もう空の上だが、飛行機がハイジャックされた。
連中は、すでに乗客の一人をナイフで刺している。
犯人の一人は銃を持っていて、機内に爆弾を持ち込んだと言っている。
関係機関に通報してくれ。」
そこで電話が切れた。
トムは、犯人に気付かれないように、携帯電話のイヤホンを耳に差し込み、送話用マイクのコードを肩に掛けて、マイクが肩の位置に来るようにして、話していたらしい。
このあと、トムは、携帯や、機内の電話を使って、話す。
元客室乗務員だった妻は、動転しながらも、正確に情報を関係機関に連絡した。
38歳のトムが、常々(つねづね)妻に言っていた二つのことがあった。
「何かのために立ち上がらなかったら、何をやってもつまづく。」
「きょうが最後かもしれないと、一日一日をしっかり生きろ。
いつか最後の日が来るのだから。」
午前9時34分、トムからふたたび電話が入る。
「犯人たちがコックピット(操縦士室)にいる。
ナイフで刺された男性は死んだ。
助けようとしたが、脈拍は止まっていた。」
妻ディーナは、知っていることを、急いで伝えた。
飛行機が2機、世界貿易センタービルのツインタワーに激突したこと。
テロリストたちが、指定された目標を攻撃しているように思われること。
そのとき、トムが、だれかに、
「何てことだ。
自爆テロじゃないか」
と言っているのが聞こえた。
ディーナ「だれと話しているの?」
トム「隣の席の人だ。」
トムは、ディーナに、
旅客機がハイジャックされているのか?
航空会社はどこ?
ハイジャックされたのは何機?
だれが関わっている?
などのことを聞いてきた。
ディーナは分かっている範囲で答えた。
トムは、ユナイテッド航空93便が、東に向かっているらしい、と言った。
そう言ったとたん、
「いや、待て。
別の方角に旋回している。
南だ。」
と言った。
そして、
「もう、切らないと。」
と言って、電話を切った。
午前9時45分、トムから電話。
ディーナ「トム、あなた大丈夫なの?」
トム「いや、大丈夫でもない。」
ディーナは、
3機目がワシントンの国防総省に激突したこと、
ハイジャックされた飛行機は、東海岸を拠点とする航空会社の飛行機らしいこと
を伝えた。
トムは、歩き回っている様子だった。
ハイジャック犯たちの位置を確認しようとしていたのかもしれない。
トム「だれが関わっているか分かった?」
ディーナ「分からないわ」
トムは、周囲の乗客に情報を伝えているらしかった。
トムは、ディーナに、機内に、爆弾が持ち込まれている可能性を尋ねた。
ディーナが、答える間もなく、
「彼らが、爆弾を持っているとは思えないんだ。
はったりに過ぎないと思うんだが」
と言った。
トム「関係機関に通報してくれた?」
ディーナ「もちろんよ。
警察は、あなたの飛行機のことは、何も知らないみたいだった」
トム「ハイジャック犯たちは、飛行機を墜落させようと話している。
何とかしないと。」
トムと他の乗客たちは、計画を練っているようだった。
トム「仲間がいるから、心配しないで。
また電話する。」
午前9時54分、トムから電話。
彼は、3人の娘たちのことを尋ねた。
ディーナ「みんな、あなたと話したがっているわ。」
トム「娘たちとは、あとで話をしよう。」
トムと他の乗客たちは、人家の少ない地域の上空で、飛行機を奪回する計画を立てていた。
ディーナ「いけないわ。
座席でじっとしていてちょうだい。
犯人に目を付けられないように、おとなしくしていて。」
トム「連中が、この飛行機を墜落させるつもりなら、こちらも何か手を打たなくてはならないだろう?」
当局の介入を待つ時間的余裕はなかった。
トム「すべては、こちらにかかっている。
何とかなると思うが。」
ディーナ「何かしてほしいことは?」
トム「祈ってくれ、ディーナ。
ただ、祈ってくれ。」
ディーナ「愛してるわ」
トム「心配しないで。
(しばらく間があって)みんなで、何か、やってやる。」
この間、93便に乗っていた他の乗客たちも、お互いに電話を貸し合って、友人や家族に電話をした。
マリオン・ブリトンは、自分の乗っている飛行機がハイジャックされて、犯人が、二人の喉(のど)を掻(か)き切ったことを伝えた。
その二人とは、機長と副操縦士だった。
オナー・エリザベス・ワイニオは、夫の母エスター・ハイマンと、11分間話し続けた。
エスター「あなたは、私の腕の中にいるのよ。
今、抱きしめている。
愛してるわ。」
エリザベス「ママが、腕をまわしてくれたのが分かるわ。
私も愛してる。」
彼ら、彼女らは、友人や家族に対して、異口同音に、「愛している」と繰り返した。
やがて、最後のときが来た。
エリザベスが言った。
「もうじき、みんなで、コックピット(操縦士室)に突入する準備が整うわ。
もう切らなきゃ。
愛してる。
さよなら。」
客室乗務員のサンドラは、電話で、夫のフィルに言った。
「これから、熱湯を持って、みんなとコックピットに走っていって、犯人たちに熱湯を浴びせるの。
じゃあね。」
コックピット内での、犯人たちの会話が、ボイスレコーダーに録音されていた。
犯人の一人が、もう一人に向かって、
「他の二人も、中にいれるように。」
と言っている。
おそらく、他の二人の犯人が、乗客たちの動きを見て、抑(おさ)えきれないと感じ、コックピットに逃げてきたのかもしれない。
犯人の一人が、イスラム教の祈りを始める。
それから、乗客を制圧するために、斧(おの)を使ってはどうかと相談する。
その斧とは、機内の消火器のガラスを割るために備え付けられていたものである。
結局、自動操縦装置を切って、機体の上下のゆれをはげしくし、彼らに飛びかかろうとする乗客たちの足をよろめかすことにする。
地上の電話会社の交換手と、機上のトッド・ビーマーが交わした通話録音が残っている。
トッドの妻リーサは、4ヵ月後に出産予定だった。トッドは、お腹(なか)の子への影響を考えて、あえてリーサに電話をかけず、交換手に、リーサへの伝言を頼んだ。
「もし万が一、計画が無事に運ばなかったときには、私の家族に電話して、私が家族を心から愛していたことを伝えてくれませんか。」
その直後、機体が急降下し、上下にはげしく揺れた。
それが何度も繰り返された。
「おお、主よ。」
と、トッドは叫んだ。
ついで、
「リーサ。」
と、叫んだ。
交換手は、
「はい?」
と、答えた。
「私の名前もリーサなんです。」
「ええっ?」
トッドは、偶然の一致に驚きの声をあげた。
それから、交換手に、いっしょに、主の祈りを唱えてくれるように頼んだ。
主の祈りを唱えたあと、トッドは、詩編23篇を唱えた。
ちょうど午前10時、トッドは、誰かに向かって言った。
「用意はいいか。
さあ、いこう。」
機上の客室乗務員のサンドラは、電話で、地上の夫のフィルに言った。
「いかなくちゃ。
みんなコックピットに向かって走っているの。」
エリザベス・ワイニオは、地上の母エスター・ハイマンに言った。
「電話、切るわね。
みんなで、コックピットの扉を打ち破ろうとしているの。
愛しているわ。
さようなら。」
客室乗務員シーシー・ライルスは、夫のローンに言った。
「やってるわ!
みんなでやってるのよ!」
ハイジャック犯たちは、声をそろえて叫んだ。
「アラーは、偉大なり!」
飛行機は安定を失い、裏向けになっていた。
そして、そのまま、地面に激突した。
午前10時3分だった。
そこは、ペンシルベニア州シャンクスビルの、何もない原っぱだった。
テロリストの標的だったワシントンまでは、あと20分の距離だった。
トッド・ビーマーは、飛行場に来る途中、車の中で、新約聖書ローマの信徒への手紙11章33〜36節を暗誦していた。
それは、妻のリーサの愛唱聖句でもあった。
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。
だれが、神の定めを究(きわ)め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。
だれが主の相談相手であっただろうか。
だれがまず主に与えて、
その報いを受けるであろうか。』
すべてのものは、神から出て、神によって保(たも)たれ、
神に向かっているのです。
栄光が神に永遠にありますように、
アーメン。」