(1) 誕生
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(新約聖書マタイによる福音書5章48節)
このイエスの言葉に、おそれを感じないキリスト者はないであろう。自分をかえりみて、この言葉にたえ得るような自分ではないことを、認めないキリスト者がいるであろうか。
「それでも、今、あなたは、キリストにあって、完全である」ということを、明確に宣言したのが、ジョン・ウェスレーであった。
彼は、1703年6月17日、イギリス、リンカンシャーのエプワースで、サムエル・ウェスレー牧師と妻スザンナの第15子として生まれた。
サムエルの子女は全部で19人であったが、多くは早く死んで、当時は、ジョンの兄たちは、6人しか残っていなかったという。
(2) 弟チャールズ・ウェスレー
1707年には、第18子として、弟チャールズ・ウェスレーが生まれている。
チャールズは、牧師であるとともに、讃美歌作者として知られている。
彼が生涯に作った讃美歌は6000以上と言われている。
讃美歌21には、そのうちの15編が収められている。
(例えば、
262「聞け、天使の歌」(クリスマス)、431「喜ばしい声ひびかせ」(神の招きと応答)、442「はかりも知れない」(悔い改めと回心)、456「わが魂を愛するイエスよ」(信頼)、475「あめなるよろこび」(愛)、492「み神をたたえる心こそは」(祈り)
などがよく知られている)
(3) 母スザンナ
当時のエプワースの村人は、朝から居酒屋に入りびたり、ばくちを打ったり、けんかをしたりする人が多かったらしい。サムエル牧師の収入は少なく、貧乏して、借金し、それが返せなくて、サムエル牧師は、二ヶ月も獄舎に入れられたことがあったという。
母スザンナは「キリストにならいて」やパスカルの著作を愛読する敬虔な女性であった。
子供たちは、母から読み書きと礼儀作法を教わった。
その結果、家では、だれ一人、大きな声を出す者もなく、静かな牧師館だったので、たいていの訪問者は、子供は一人もいないと思って、ドアを開けて、初めて、大勢の子供がいることに驚いたという。
スザンナは、後年の手紙に、
「わたしは、なるべく早く、子供の意志をおさえて支配するように主張します。
もし、これができないと、どんないましめも、実例も、ききめがなくなります。
けれども、これが完全になされると、子供は、両親の理性と信仰によって支配され、ついに、自分で十分に理解する力が成熟し、宗教の原則が深くその心に根を下ろします。」
と書いている。
スザンナは、子供たちに、家庭礼拝の時には、静かにしているようにしつけ、毎晩、一人一人に、曜日を決めて寝る前に、聖書の話をして聞かせた。
ジョン・ウェスレーの番は木曜日だったという。
(4) 火災
その平和な牧師館に、ある日大事件が起こる。
1709年2月9日、ジョン・ウェスレーが5歳半の時であった。
夜もふけた11時すぎ、穀物小屋の屋根から出火して、牧師館に燃え移ったのである。
当時、父サムエルは、国教会と非国教徒の論争をしたり、政治問題に口を出していたので、訳の分からない、いなかのあばれものが、いやがらせに火をつけたのではないかと思われる。
火の回りは意外に早かった。
二階で寝ていたジョンは、煙と炎にはばまれて、逃げられなくなった。
とっさに、窓辺の道具箱の上に、必死によじ登ったが、窓を開けることができないでいた。
父サムエルは、子供たちを庭に助け出したが、ジョンの姿がないのに驚いて、二階にかけ登ろうと、二度試みたが、二度とも炎に押し倒されてしまった。
彼は、家族と手を取り合ったまま、庭にひざまずいて、深い悲しみの中に、ジョンの魂を神のみ手におゆだねした。
その時、牧師館の火事を知って集まってきた隣近所の人たちや教会員のある人が、偶然炎で明るくなった二階の窓に、ジョンの姿を発見し、何人かかけよって、人ばしごを作り、一度ころげおちたが、二度目に、窓をこじ開けて、やっとジョンを庭に抱き下ろした。
と同時に、ごう然たる音とともに、屋根が焼け落ちたのである。
後年、ジョンは、この火災で炎上している牧師館を背景に描かれた、自分の肖像画の下に、
「ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか」
としるしている。
これは旧約聖書ゼカリヤ書3章2節の言葉である。
(5) メソジスト
1720年、ジョンは、17歳でオックスフォード大学に入った。
1725年には「キリストにならいて」を読み、かつてない感動を覚え、「聖書につぐ本である」と友人にすすめたりしている。
1725年、「キリスト者の完全」と題する著作を発表する。
それ以後、1775年まで、この著作は幾度も改訂され、増補され続けた。
1727年、弟チャールズの主唱により、オックスフォード大学に「神聖クラブ」の組織ができた。
ジョンは、1728年、牧師となり、1729年にはオックスフォード大学の助教授となる。
そこで「神聖クラブ」の会員を指導し、毎晩集まって、祈り、ギリシア語で聖書を読み、古典を学び、水曜と金曜には、断食をし、毎週、聖餐を守り、小遣いをためて、慈善事業をおこなった。
その厳正な宗教生活のため、彼らは「メソジスト(きちょうめん派)」とあだ名された。
ジョンは、1735年頃から、毎日日誌をつけはじめ、死の直前まで続いた。
(6) モラヴィア派
1735年、弟チャールズとともに、アメリカのジョージア植民地に伝道するために出帆した。
その船中、三度にわたる激しい嵐の中で、ジョンが死の恐怖におののいているとき、同船していたモラヴィア派のキリスト教徒たちの、死も恐れない確固不動の信仰を目の当たりに見た。
アメリカに渡った翌年、ジョンの愛人ソフィア・ホッキーが、ジョンを捨てて、ウィリアムスンと結婚し、痛手を負う。
伝道・牧会もうまく行かない。
同年末、苦悶を抱いて、イギリスに帰る。
翌1738年、ジョンの信仰に一大転機が訪れる。
(7) オルダスゲートの回心
5月24日の夕方、ジョンは、重い心をかかえて、オルダスゲートのモラヴィア派の集会に出席する。
そこで、一人の人が、ルターの「ローマの信徒への手紙への序文」
(ルターのローマの信徒への手紙の注解書の中にはなく、ルターのドイツ語訳聖書の中にあるという)
を読んでいるところであった。
神がキリストを信ずる信仰を通して、罪人を新たに造り変え給うみわざの部分を読んでいたとき、突如として、ジョンは、自分の心が、かつてなく、不思議に燃えるのを感じる。
キリストだけが救いを与え給うことを、ひしひしと感じたのである。
また、神が、自分のような者の罪をさえ取り除いて、罪と死の法則から救い給うことの確かさを与えられた。
(8) 最後
その後、ジョンは、イングランド、スコットランド、アイルランドで、路傍説教と「トラクト」(小冊子)配布を基本として、熱烈な伝道を開始し、4万回以上の説教と、32万km以上の伝道旅行をおこなった。
そして、1791年3月2日午前10時、
「もっともよいことは、神が、ともにいまし給うことである」
という言葉を残して、世を去った。
88歳であった。
ジョン自身は、生前、英国国教会から離脱しようとは思っていなかったが、彼の死後、ジョンの教えを受けた信徒たちは、1795年、正式に英国国教会から分かれて、メソジスト教会として独立した。
2.義認における完全
ジョンが生涯かけて説いた「キリスト者の完全」とはどういうことか。
その第一は義認における完全である。
キリストにあって、人は救われる。
完全に救われるのである。
人の行為や、信仰さえも問題ではない。
人は不完全であっても、神は完全でいまし給う。
神の愛は完全である。
今の自分を、不完全なままに、神は受け入れ、義としてくださる。
その事実に目が開かれ、「アーメン」(本当に)と言うことが、信仰なのである。
「信仰によって義とされる」とは、信仰の力で、義を獲得するということではない。
私の知らないうちに、神がキリストにおいて、私を救っていてくださったということである。
その事実を「神の義」と言うのである。
私の努力や、私の信仰の力で、私が救われるわけがない。
人間が人間を救うなどということは、絶対にあり得ないことである。
人間を救うことができるのは、キリストにおいて、現された「神の義」のみである。
「信仰」とは、自分の無力を徹底的に知って、自分をキリストに明け渡すことである。
自分が死んでしまうことである。
「生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです」
(新約聖書ガラテヤの信徒への手紙2章20節)
と、認め、告白することである。
その「認め、告白する」ことさえも、聖霊によらなければ、人間にはできない。
人間には、「信ずる」ことさえできない。
人間は
「信仰のないわたしをお助けください」
(新約聖書マルコによる福音書9章24節)
と叫ぶことしかできないのである。
しかし、そう叫んだ瞬間、神は私の手をしっかりとらえ、完全な救いへと、救い上げてくださる。
いや、そう叫ぶ前から、神は私を救い給うている。
いや、私の生まれる前から、救い給うている。
いや、いや、天地創造の前から、神は、私を愛し、私を選んでくださっていたのである。
「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。」
(テモテへの手紙二1章9節)
神の救いは、永遠の昔から、永遠の未来にわたって、しっかりと、私をとらえていてくださる。
神の救いの及ばない所は、この世界のどこにもない。
2.聖化における完全
救いは、義認で終わるものではない。
神の義を与えられ、神の前で完全に正しき者とされた私であるが、それでは、もう私は何もしなくてよいのか。
神の義という無限の富を手に入れたから、あとは遊んで暮らせるのか。
そうではない。
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
(新約聖書マタイによる福音書5章48節)
とは、神の与え給うた完全が、本当に私のものとなるために、私がしなければならないことがある、ということである。
私が、肉の体を持って、地上に生きている限り、呼吸し続けなければ、死んでしまう。
いくら無尽蔵に空気に囲まれているとしても、呼吸をやめれば、瞬時に命は絶たれる。
神の恵みに囲まれていても、それを呼吸しなければ、どうして恵みを知り、味わうことができるか。
「私は救われている」と言いながら、その救いを活かして、本当に私のものにしなければ、神の救いを感謝し、とうとぶことにならない。
ジョンは
「神は聖潔(救い/完全)の蓄えを人に与え給わない」
と言った。
神の恵みは「蓄え」ではない。
それは、蓄えがきかないのである。
人は、瞬間瞬間に、神の与え給うた聖潔(救い/完全)を私のものにしなければならない。
闇の中にいる私は、瞬間瞬間に、キリストの光の供給を受けなければならない。
肉の体を持って、地上に生きる限り、神の救いは、まだ、本当の意味では、「私の現実」となっていない。
それを、日々、時々刻々に、「私の現実」として行くことが、キリスト者としての私の「聖化」(成長)である。
完全に救われている私が、日々、時々刻々にきよめられて行く「聖化」の恵みによって、完全を目指し、歩んで行く。そこに、
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
というキリストの言葉が、成就するのである。